気づいたら、自分にだけ厳しすぎない?
普通に生活していて、ふと気づいたことがあります。
あれ、なんか我々、
他人にはめちゃくちゃいい対応してない?って。
「期待に応える力」は、もう証明済みなんです
他人の期待に応える、あるいはそれを超えられるように、
これまで一生懸命がんばってきた人って多いと思うんです。
実際、それで認められてきた場面もあるはず。
ってことは
それができる人ってもうすでに、
「期待に応える力」を持ってるんですよね。
なのに不思議なことに、
自分に対しては
「どうせ無理だろ」って言ってたりする。
いや、その判断はどこから来た!??ってなる。
その能力、ぜんぶ外に向いてます
私が言いたいのはこれで、
他人に向けて発揮している力を、
自分には使ってない人、多いのかも!ってことです。
・がんばり続ける力がある
・優しさがある
・我慢強さがある
・相手を信じる力がある
これ、ちゃんと持ってるのに
ぜんぶ矛先が外側(=自分以外)に向いてる。
他人のためならできるのに、自分には許可が出ない
たとえば、
ということはできるのに、
他人には優しく柔軟なのに、自分にはだけ厳しい
他人に対しては
「あなたならできるよ」と言えるのに、
自分には
「どうせ無理だろ」と言ってたりします。
よく考えると、すごく不思議な事が起きてますよね。
それ、友達にも同じこと言うかい?
友達がもし、
「失敗したからもう何も挑戦しない」と言ったら、
たぶん止めますよね。
友達がもし、
「私なんてなんもできないし」って言ったら、
普通にめっちゃ心配しますよね。
友達がもし、
「疲れてるけど私には休む価値ない」なんて言ったら
いやいやいや!!!!そんなことない!って全力で言いますよね。
その優しさ、自分だけ対象外にしてない?
こういう人って、
柔軟で、人の可能性にはちゃんと目を向けられる人だと思うんです。
なのにその視点、
自分にだけ向いてない。
ここ、めちゃくちゃもったいない。
「できてきた事実」を、自分だけ認めてない
「すでに何度も自分の想像を超える力を発揮してきた証拠があるのに、
それを自分だけが認めていない」
他人のためなら徹夜してでもやる。
頼まれたらなんとかする。
責任があればがんばれる。
それって十分すごい能力なのに、
その能力を発揮した事実を、
「いやこれは当たり前のことをしただけ」
「みんなできる。誰でもできる」
「特別なことじゃない」
と、処理しています。
処理が雑すぎる気がしてきますね。
「自分にも優しくしよう」じゃなくていい
人にやさしい人ほど
「自分にもやさしくしよう」って言われても
ちょっとピンとこない気がしてて。
それより、
「その優しさ、自分だけ対象外にしないであげて」
くらいのほうが、しっくりくる。
ちょっとだけ向ける方向を変えるだけでいいと思うんです。
他人に向けてる信頼とか期待とかやさしさって、
ほんとはちゃんと“ある”ものだから。
それを、ほんの少しだけでいいから
自分にも向けてあげたらいいだけ。
ゼロから増やすんじゃなくて、
向ける方向を変えるだけ。
以上、ふと感じた、
「他人に向けている信頼ややさしさの期待を、
自分にだけ向けていないのはもったいなくない?」
っていう違和感の話でした。

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