職場や人間関係の中で、
「なんとなくこの人には逆らえない」
「この人の前だと気を遣いすぎて疲れる」
「何も言われていないのに、機嫌を読み取ってしまう」
そんな相手に出会ったことはありませんか?
もしかすると、その正体は「圧」なのかもしれません。
圧というと、怒鳴る、強い言葉を使う、威圧的な態度を取るなど、
分かりやすいものを想像するかもしれません。
でも実際は、もっと静かな形で存在しています。
ため息。
表情。
無言の空気。
相手に察することを求める態度。などなど。
直接「こうしてほしい」と言えばいいことを、なぜか相手に読み取らせようとする。
そして、その圧によって周囲が動くことで、その人は自分の思い通りの状況を作っていきます。
私は、人を動かす方法として「圧」を選ぶ人について考える中で、あることに気づきました。
圧は一見すると「強さ」に見えます。
でも、その裏には別の感情が隠れていることもあるのではないかと思います。
なぜ人は、言葉ではなく「圧」で相手を動かそうとするのか
本来、人に何か伝えたいことがあるなら、言葉で伝えることが一番シンプルです。
「ここを直してほしい」
「こうしてもらえると助かる」
「私はこう感じている」
きちんと言葉にすれば、相手とすり合わせることができます。
でも、中には言葉ではなく、圧で相手を動かそうとする人がいます。
なぜでしょうか。
ひとつは、相手と対話するよりも、相手を自分の思う方向へ動かした方が楽だからです。
対話には、自分の考えが否定される可能性があります。
相手にも相手の事情や考えがあることを受け入れる必要があります。
でも圧を使えば、
「相手に考えさせる」
「相手に合わせさせる」
ことができます。
つまり、圧とは相手を動かすための「手っ取り早い近道」になってしまうことがあるのです。
圧をかける人は、相手を変えたいのではなく自分を守りたいのかもしれない
圧を出す人は、一見すると自信があって、強い人に見えます。
でも実際には、その反対の場合もあります。
自分の考えが否定されるのが怖い。
自分の立場が揺らぐのが不安。
相手に軽く見られたくない。
そういった不安を隠すために、無意識に強い態度を取ってしまう人もいます。
つまり、
「自分が正しいと思われたい」
「自分の言うことを聞いてほしい」
という気持ちの裏側には、
「自分を否定されたくない」
「自分の価値を守りたい」
という、自分を守りたい気持ちが隠れているのかもしれません。
圧は、強さの表現に見えます。
でも実際には、自分の不安を和らげるための手段になっていることがあります。
相手を従わせることで、自分が安心できる状態を作ろうとしてしまう。
だからこそ、本当に自分に自信がある人は、相手を怖がらせる必要がありません。
自分の意見と相手の意見が違っても、言葉で伝え、対話することができます。
「厳しさ」と「威圧」は違う。人を育てる人が大切にしていること
「厳しい人=悪い人」
ではありません。
仕事をする上で、注意や指摘が必要な場面はあります。
時には厳しい言葉をかけることが、相手の成長につながることもあります。
でも、「厳しさ」と「威圧」は似ているようで全く違います。
人を育てる人は、
「なぜできなかったのか」
「どこでつまずいているのか」
「どう伝えたら理解できるのか」
を考えます。
一方で、圧で動かそうとする人は、
「私は言った」
「説明した」
「なのになぜできないの?」
で終わってしまうことがあります。
私は実際、ここってこうでしたっけ?と質問すると
「そこは〇日前に教えました」と言ってくる先輩に出会ったことがあります。
その時に感じたのは、
すでに教えていただいていたのに覚えきれていないことへの申し訳なさと、
「いつ教えたか」ではなく、
「今、私が理解できているか」を見てほしかった
ということでした。
指導の目的は、「自分が伝えた事実を証明すること」ではありません。
相手が理解できたかではなく、自分が伝えた事実だけを重視してしまう。
でも、指導の目的は「言ったことを証明すること」ではありません。
相手が理解し、成長できる状態を作ることです。
「前に言ったよね」と過去を責めるより、
「どこで分からなくなった?」
「もう一度一緒に確認しよう」
と言える人の方が、結果的に人を成長させるのではないでしょうか。
「自分もそうされてきた」が、圧を正当化することがある
圧を使う人の中には、
「自分もこうやって覚えてきた」
「社会ではこれが普通だから」
という考えを持っている人もいます。
本人にとっては、それは意地悪ではなく「必要な指導」なのかもしれません。
自分自身が厳しい環境の中で努力してきた経験があるからこそ、
「これくらい乗り越えられないといけない」
「このくらい厳しく言わないと成長できない」
と思ってしまう。
ただ、ここで一度考えたいことがあります。
自分が耐えられた方法が、必ずしも相手を成長させる方法とは限りません。
人は、自分が受けたものを無意識に再現してしまうことがあります。
圧をかけられ厳しく指導された人は、
「ある程度圧をかけて厳しくすることが相手のため」
と思い込んでしまう。
「自分もそうやって覚えてきた」という言葉の裏には、
自分が苦しかった経験を「当たり前のこと」として受け入れることで、なんとか納得しようとしてきた歴史があるのかもしれません。
自分が受けてきた苦しさを「普通」と考えることで、
自分の過去を肯定しようとしているだけなのかもしれません。
だけど、自分が過去に受けた痛みと、今目の前の人にどう接するかは、
本来は繋がっていなくていいはずのもの。
そう分かっていても、人は自分が受けた接し方を、無意識に繰り返してしまうことがあります。
過去に傷ついた経験があることと、
誰かを傷つけることは別の話です。
圧で人を動かすのではなく、信頼で人が動く環境を作る
圧を使えば、人は一時的には動きます。
怒られないために頑張る。
嫌われないために合わせる。
でも、それは本当の意味で人が成長している状態とは違います。
人が自分から動くのは、
「怖いから」
ではなく、
「この人の言葉なら信じられる」
と思えた時です。
本当に人を動かす力がある人は、相手を萎縮させません。
質問できる空気を作ります。
失敗を責めるのではなく、改善する方法を一緒に考えます。
圧を出すことは、簡単です。
相手を怖がらせればいいから。
でも、人と向き合うことはもっと難しい。
圧を出す人は強いのではなく、不安や未熟さを圧という形で表現していることがあります。
だからこそ、「言葉で伝える」ことを選べる人は、本当の意味で強い人なのだと思います。


コメント