『分からない』を責める人が、見落としていること

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「なんで分からないの?」

直接こう言われたこと、陰で言われたこと、
こういう意味合いで嫌味っぽく言われたこと、そういう雰囲気を出されたこと。

経験したことがある方、多いのではないでしょうか。

もしかしたら、言われたことがある人もいるかもしれません。

この言葉って、よくよく考えるとかなり攻撃力の高い言葉です。

言われた瞬間、

「え、私の理解力が低いのかな」
「普通は分かることなのかな」
「こんなこともできない自分ってやばいのかな」

と、一気に自信を奪ってきます。

でも、少し考えてみたいことがあります。

本当に“分からない側”だけの問題なのでしょうか。

もちろん、仕事をする上で、自分から学ぶ姿勢や努力は必要です。

何でもかんでも「教えてもらって当然」という受け身の姿勢では成長できません。

でも同時に、教える側にも責任があります。

「伝えた」「伝わった」は、決して同じではないからです。

私は、職場で苦しんだ経験から、この違いを強く感じるようになりました。

「なんで分からないの?」と言う前に、教える側が確認すべきこと

仕事を教える立場になると、つい忘れてしまうことがあります。

それは、

「自分が分かること」「相手が分かること」は違う

ということです。

自分にとっては当たり前のことでも、相手にとっては初めて聞くことかもしれない。

経験年数も違えば、着眼点や印象に残るポイントも様々なわけです。

例えば、新入社員に仕事を教える時。

「前にも説明したんだけどな~~」

と思う瞬間が、100回以上はあると思います。

でも、その時に一度立ち止まって考えたい。

本当に相手は理解できる状態だったのか。

質問しやすい雰囲気だったのか。

相手がどこでつまずいているのか、確認したのか。

教える側が「説明した」という事実だけで満足してしまうと、そこで思考が止まってしまいます。

でも本来、指導するということは、

「自分の知識を自分なりに渡すこと」ではなく、
「相手が理解して、自分でできる状態にすること」

なのではないでしょうか。

「伝えた」と「伝わった」は違う。仕事で起こるすれ違いの正体

「私はちゃんと説明しました」
「この間言ったよね??」

この言葉を聞くたびに、少し違和感があります。

もちろん、嘘をついているわけではなくて、本当に説明したのだと思います。

でも、

説明したことと、相手に伝わったことは別です。

例えば、道を知らない人に、

「駅はあっちです」

と言っただけで、その人が迷わず目的地に着けるとは限りません。

途中に分かりにくい道があるかもしれないし、そもそも方向が違うかもしれない。

相手が困っているなら、

「どこまで分かった?」
「ここまでは大丈夫?」
「何が引っかかっている?」

と確認する必要があります。

仕事でも同じです。

相手ができていない時に、

「前にも言った」
「説明した」

で終わってしまうのは、少しだけ責任を手放しているように感じます。

なぜなら、目的は「説明したかどうか」ではなく、
「相手ができるようになること」だから
です。

圧や態度で分からせようとする指導が、人を成長させない理由

個人的に一番苦手だったポイントがここでした。

怒鳴られるわけではない

露骨に嫌なことを言われるわけでもない。

でも、怖い。

質問する前に、

「こんなことも分からないの?と思われないかな」

と考える。

ミスをした時も、言葉より先に表情や空気で伝わってくる。

「あ、今呆れられているな」

と感じてしまう。

こういう圧って、受ける側にしか分からない疲れがあります。

なぜなら、仕事をしているのに、いつの間にか相手の機嫌まで管理するようになるからです。

もちろん、職場にはある程度の緊張感が必要です。

何でも優しく、何でも許すことが良いわけではありません。

でも、厳しさと圧は違います。

厳しさは、相手の成長のために伝えるもの

一方で圧は、相手を萎縮させて、自分の思う方向へ動かそうとするものです。

「分からないことを教える」のではなく、

「分からないことを恥ずかしいと思わせる」

方向に向かってしまうと、人は成長する前に黙ります。

そして、分からないことを隠すようになります。

それは指導ではなく、ただ失敗を見えなくしているだけなのかもしれません。


「できない人」ではなく「まだ理解できていない人」と考える大切さ

人は、自分が苦労してきたことほど、

「これくらいできて当然」

と思ってしまう傾向があるような気がします。

でも、その「当然」は、その人が積み重ねてきた経験の上にできています。

初めから持っていたものではありません。

過去に苦労した人ほど、

「自分もこうやって覚えたから」
「社会ってそういうものだから」

と思うことがあります。

でも、自分が苦労した方法が、必ずしも誰かを育てる方法とは限りません。

むしろ、

「自分がされて嫌だったことを、次の人にもしてしまう」

という連鎖が起きることがあります。

厳しい環境で頑張ってきた人ほど、

「これくらい耐えられないと社会ではやっていけない」

と思ってしまう。

でも、それは必要な厳しさなどではなくて、
ただ、自分が傷ついた経験を“普通”として受け入れてしまっているだけではないでしょうか。

そうしないと、自分が傷ついた事、耐えてきたことが「正解だった」と認める手段が無い
無意識にそう思っているのかもしれないなと、私は考えています。

良い指導とは、相手を責めることではなく成長できる環境を作ること

私は、厳しい人が嫌いなわけではありません。

間違いを指摘してくれる人も必要だと思います。

自分の成長のために、耳が痛いことを言ってくれる人の存在は本当にありがたいものです。

でも、尊敬できる指導者には共通点があります。

それは、

「相手を変えよう」とする前に、
「どうしたら伝わるか」を考えていること。

できない理由を探すのではなく、
できるようになる方法を探していること。

そして何より、

相手を下に置いて、自分の正しさを証明しようとしていないこと。

人を育てるということは、相手を怖がらせることではありません。

「この人に聞いても大丈夫」
「失敗しても改善できる」

と思える環境を作ることです。

もし今、

「自分が仕事できないからダメなんだ」
「自分の理解力が低いんだ」

と悩んでいる人がいたら、一度だけ考えてみてほしいです。

本当にあなたの能力だけの問題だったのでしょうか。

もしかしたら、あなたが分からなかったのではなく、

“分かるように伝えられる環境がなかった”

だけかもしれません。

圧を出すことで相手に気づかせようとする。
でも実際には、相手の理解を深めるより萎縮させているだけかもしれない

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